Replica #1 Unnatural Misleading

他人のスマートフォンの中身を覗く、というコンセプトは好きなのだが、ゲームの進行に何かしら意味がある内容と、意味があるように見せかけて何も無い作為的なノイズが大半で、このあたりはデザイナーの意図が露骨に見えてしまっているので萎える。
一方で、フレーバー的な彩りをする内容が殆ど無いのは肩すかしだった。もうちょっと、見てはいけない日常のプライベートを覗き見る感じを用意しておいて欲しかった。

ゲームが始まって、おもむろに911コールをしてみたらちゃんと作られていたことに感心して、期待が高まっただけに残念である。

Firewatch #1 Hunch

プレイする前に思っていた方向とはすこし違うゲームだったかな。
思っていたのは、Dear EstherとかGone HomeとかのいわゆるWalking Simulatorで、あの手のゲームで定番になっている唐突な意味深モノローグが、無線での対話に置き換わったようなものだ。実際には、サスペンスなアドベンチャーゲームとくっついたようなところ。Walking Simulator的なnarrativeとか、サスペンスなストーリー、どちらも特筆するくらい記憶に残るような印象ではなかったが。

クリアしたあとに、軽く調べてみていると、期待はずれという意見もそれなりに見かけたのだが、その人はこのゲームに何を期待していたのだろうか?オープンエンドとかサバイバルゲーム?そうでないにしろ、日本の場合、やたらサスペンスやら怖さを推しているのは、ちょっとずれているような気がする。一方で、リニアであるという要素をネガティブに捉えるケースは、山という大きな舞台装置ゆえの期待から仕方が無いのかもしれない。
私の場合、このゲームのプレイ動機はアドベンチャー好きによる直感によるもので、メディアの書きクチとかユーザーレビューとかは全然見ないうちにプレイしたので、まあこんなもんだろうという肯定であった。メディアでの影響を受けてプレイに到ったとしたら、騙しやがってという印象は受けそうである。

では、このゲームのどこが良かったのかというと、見たり聴いたりした様々なことを、無線越しのDelilahにねえねえこんなもの見つけたよ、と共有できることだと思う。お互いのバックグラウンド的に精神的にくたびれた状態で、ひとりぼっちの山だが、他のWalking Simulatorにあるような孤独とは無縁である。
流石に中盤くらいからは、殆どが踏破済みなので新しく見つけるものはぐっと減ってくるのだが、それでもプレイヤーが拒否しなければずっと話していることが多いので、必然的に彼女には親近感が湧く。時折無線が使えないような状況に陥ったりもするが、早く彼女と話がしたいという感情は確かにそこにある。
そしてそれとは別に、メタ的にディティールの細かい人間は登場しないから、彼女と顔を合わせることは叶わないんだろうなということに薄々気がついてしまい、悲しくなるのである。

One Night Stand #1 Fuzzy Moody

目が覚めたら二日酔いで昨晩の記憶がなく、行きずりの関係をもったらしい見知らぬ女性と少しばかりお話をするゲーム。

ロトスコープが用いられており(Prince of Persiaのあれ)、バリエーションは少ないものの時折艶めかしい仕草を見せる。その動きと、定まらない輪郭線とエッジのない淡い着色は、二日酔いの朝の独特な雰囲気を醸し出す。

1回あたりの時間は30分未満とかなり短い。しかしながら、非常に細かく分岐していく。
何度もクリアして情報を少しずつ得て、真相を知りつつ様々なエンディングに到達するのが目的だろうか。プレイヤーの体験は残るが、ごく普通のゲーム同様にやり直す度にプレイヤーキャラクターの記憶は失われる。しかしそのスパンが非常に短いため、Life Is Strangeとは対称的なゲームとして映る。

真相を知ることが目的でもなさそうだし、特定のエンディングに辿り着くことがよいというわけでもない気がする。ただその少し気まずい雰囲気を味わうことが全てなゲームなのかなあ。

TIS-100 #1 Assembly

極少ない命令しかないアセンブリ言語を書いて実行して課題を達成していく。
名作SpaceChemを作ったところ、といえばピンと来るだろう。基本的にモノクロの画面で数値が書き換えられる様しか表示されないため、後発のSHENZHEN I/Oよりもストイックで人を選ぶ。

単純にコードを書いて課題を達成していくのであれば、それはゲームではないと思うが、このゲームでは計算機に演算ノードが複数個あって、それらは擬似的に並列動作する。擬似的というのは、一つの演算ノードで命令を一つ実行したら次の演算ノードの命令を一つ実行する非並列動作をするためだ。ゲーム的に言うと、SpaceChemの赤と青ノードは必ず赤、青と実行されるようなものだ。
それぞれの演算ノードにはレジスタが一つしかないため(保存用レジスタも一つあるが、読み書き以外の命令は出来ない)、演算ノード間で値をの受け渡しを行って協調動作させること必須になるのがこのゲームの味噌だろう。一気にパズルめいてくるし、解はプレイヤーによってより異なるようになる。

ところで、Official websiteには、「この計算機を、誰がどういう目的で作ったのかを解き明かそう」的なことが書いてあるのだが、SpaceChemのようにストーリー仕立てになっているわけではない。
実際の仕様書を模したようなマニュアルにバックグラウンドがちょっと書かれているいるだけで、ゲーム内ではひたすらに課題を解いていくだけだ。

The Vanishing of Ethan Carter

オブジェクトをインタラクションした際に浮かび上がるfloating textが出る度に、dogeのそれが頭を過ぎって駄目だった。もうちょっと良い表現は無かったのだろうか。

Original_Doge_meme

グラフィクスが綺麗なだけで、ゲームデザインはなかなか酷い。
無駄に広いフィールドをかけずりまわってインタラクション出来る箇所を探さなくてはならない。作った側としては、美しい景色を堪能してもらいたかったのだろうが、なかなか見つからなくてイライラしてきて結局とにかく走り回るだけになる。歩きしかなかったら投げ出していただろう。
Dear Estherは何かを解くことが目的ではなくて、景色と語りによるNarrativeを堪能することが目的で、それこそトボトボと歩くことに意味があったのだが、このゲームは探偵だかなんだかの役割として謎を自発的に解明していく必要がある。景色は二の次だ。

そもそも、クソ広いくせに導線がまともにないのが良くない。景色を味わった後に、探索するべき場所に誘導や推測させるようなものが無い。例えば、家が二軒見えたとしてたら、普通の人は手前の家から近寄ってみようとするだろう。その家にはパズルがあるのだが、そのヒントは奥の家にある。わざわざパズルを解くことを諦めて奥の家に行かなければ分からない。もしくは総当たりで解くことになる、そして総当たりでも解けてしまう。総当たりで解けるパズルのヒントなんて、パズルの前に仄めかしているもんじゃないか?
だだっ広い森の中のどこかとか、隠された鉱山の入り口とか走り回って探す以外にどうしろっていうんだ?

パズルは他にもいくつかあるのだが、大抵は何の脈絡の無いいわゆるロジカルではないと言われる類か、パズルですらない総当たりで解かせるようなものだ。このゲームをNarrative Gameという免罪符無しにAdventure Gameとして見るのであれば、駄目なAdventure Gameの典型だろう。

結局の所Narrativeの部分、ゲームプレイの酷さに目を瞑ってストーリーが楽しめるかどうかがこのゲームの善し悪しになるのだろう。しかし、私はストーリーも楽しめず、ゲームプレイを台無しにするオチだなとすら思った。ある種似たところにあるオリジナルDownfallのオチの方が狂気に塗れている分、ずっと説得力があるだろう。