粗のほうが気になってしまって楽しめなかったかな。
#1で述べたとおり、変に理屈を付けてしまったことで、どうやってもタイムリープが不可能なこともその一因だが、唐突に出てきた48時間制限も気になる。他のことは理屈を付けようとされていたが、これに関してはまったく理屈が付けられない。なので、タイムリープマシン完成の48時間前までしか戻れないことにしたいという、ストーリーを進行するためのご都合的制約にしか見えなかった。
終盤のクラッキングしてデータベースからDメールを消せば世界が変動するというのは、最早このゲームで語ってきたこと全てを根底から覆すくらいおかしなことである。「既に送られたDメールの観測記録」を消したところでSERNが既に認知しているという事象は変化しない。「7月28日にDメールを出したという事象そのもの」をDメール無しに消さなくてはならない。
仮に、あのデータベースシステムがDメールと同じような原理で成り立っていて、四次元的に事象の観測と干渉ができるシステムであるのであれば成り立つ話だが、そこまで説明はなかった。そもそも、それが出来ているのであればSERNはわざわざ有人タイムマシンを作らなくとも過去に干渉できるので、本来の目的を達成しているはずである。
また、最も重要なルートへの分岐は、タイムリープによる事象改変の果てに辿り着くものではなく、結局のところその辺のギャルゲーと同じく好感度の上げ下げに過ぎないのも残念である。しかもこのゲームの好感度の上げ下げは、それが上がったのか下がったのか全く分からない内容である。
一方で、因果の再構成によって事象が失われようとも、それを体験してきた個人には記憶が根ざしているという解釈は、このゲームならではの面白いところである。最終的にこれに帰結してフィナーレを迎えることになり、ロマンがある。
何故オカリンだけにリーディング・シュタイナーがあるのか、ということを探るようなプロットで、運命と人の記憶について掘り下げた方が良かったんじゃないかと思う。